真珠のふるさと伊勢志摩からアコヤ真珠/三重県真珠養殖漁業協同組合
【三重県真珠養殖漁業協同組合】三重ブランド第1号認定のアコヤ真珠認定業者です。三重県志摩市志摩町和具1896番地36[TEL]0599-85-0865[FAX]0599-85-5812
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  アコヤ真珠ふるさと
   
 
英虞湾の風景
 
太平洋の風景
 
 
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1.英虞湾の風景
 
御座の黒森   英虞湾全景
御座の黒森   英虞湾全景
   
 
賢島全景   登茂山方面からの賢島
賢島全景   登茂山方面からの賢島
   
 
間崎島   御座
間崎島   御座
   
 
間崎・浜島   和具・越賀
間崎・浜島   和具・越賀
   
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  2.太平洋の風景
   
 
和具市場   和具漁港
和具市場   和具漁港
   
 
広浜   大島・小島
広浜   大島・小島
   
 
大島   小島
大島   小島
 
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志摩の紹介
 
志摩の紹介
 
1.志摩町
 
志摩町は、三重県の東南部、志摩半島の最南端に位置し、通称、崎島半島と呼ばれ、黒潮躍る豪壮雄大な熊野灘に面し、背後は数多くの小島と真珠筏の浮かぶ優美で女性的な英虞湾を抱えています。南及び西には広大な太平洋がひらけ、熊野灘の遥かに紀州の山並みを望見することができます。北には真珠の養殖漁場英虞湾を隔てて浜島町、阿児町があり、東は深谷水道を経て大王町があります。志摩町は東から片田、布施田、和具、越賀、御座の地区に分かれています。和具は豊かな自然に恵まれ太平洋ではアワビ・イセエビ・魚類がたくさんとれ、英虞湾ではアコヤ真珠養殖が行なわれています。  

伊勢海老

 
2.志摩半島の歌碑
 

志摩半島の歌碑

  志摩町にある「志摩ふれあい公園」には、志摩名産のアワビをかたどった鳥羽一郎の「志摩半島」の歌碑が太平洋に浮かぶ和具大島と小島を一望できる場所にあります。辺りには県の特別天然記念物として指定されているハマユウが植えられ、7〜8月には美しく咲き誇り、素晴らしい景色を作り上げます。
 
3.南伊勢町
 
2005年10月1日南勢町と南島町が合併して南伊勢町となりました。南伊勢町に面する五ヶ所湾は、度会郡の東南部で、志摩半島の南端に位置し、東は桜山とその山系を隔てて志摩市磯部町、同浜島町に接し、北は剣峠、切原峠及び鍛冶屋峠を境にして伊勢市に、西は牛草山、鴻坂峠、三浦峠を経て度会町に接しています。五ヶ所湾は、陸地が沈降してできたリアス式海岸であるため、屈曲に富む複雑な海岸線となっています。外洋に面する部分が多い五ヶ所湾は、英虞湾より黒潮の流入率は大きく、波浪による海食のため、海食崖、海食洞、岩礁などが見られ、鋸歯状海岸地形が形づくられて変化に富んでいます。波静かな内湾部では、真珠、真鯛、ハマチ、海苔などの養殖漁業が行われており、外海沿岸部では、伊勢海老、鮑、さざえなどの磯資源を対象とする刺網、あるいは定置網漁業があり、沖合いでは、鰹、鮪、鯵、鯖などを対象とした一本釣り漁業が行われています。   五ヶ所湾
 
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志摩の民話
 
志摩の民話
 
 
1.牛鬼(五ヶ所浦)
     


 

五ヶ所浦の切間の谷に一つの洞穴がある。ここに牛鬼という変わったものが住んでいた。
牛鬼とは、古本「勢摩軍記」では、毎月、牛一匹を食う鬼だったというが、後の本では、首から上は牛の頭をし、人間のようにものを言い、一日千里も走る通力を持った強鬼だったという。この牛鬼は、よく西山に出てきて、五ヶ所城の殿様(重明公)が城中で弓の稽古をするのを眺めていた。ところが、弓自慢の殿様があろうことか、ある日、その矢を牛鬼めがけて放してしまった。矢は牛鬼の胸元へ当たり、牛鬼は西山の下の畑へまっさかさまに転び落ちた。
この時の牛鬼の鳴き声はすさまじく、その上、真っ黒な煙がもうもうと立ち上った。この煙にむせんだ城主の奥方(後の本では浮舟とある)は毒気に当てられ、治らぬ業病を患うことになった。そのため、親元の北畠家へ養生という口実で帰され、後から離縁を申し送られたのを悲しんで、奥方は自害してしまった。
この非道を怒った北畠家は、ついに軍を起こし、とうとう愛州家は滅ぼされた。この牛鬼というのは、もともと五ヶ所城の主だったそうで、死に際に、「自分を助けておけば、この城は末永く繁昌するものを・・・」と言い残したという。
西山の下の「ウシマロビ」という地は、この牛鬼の転げ落ちた地である。また、住んでいた穴から東南 40 メートルほどにある岩は、戸棚状をしていて、これを牛鬼の道具部屋と呼び、牛鬼が武器を隠していたところで、このあたりの樹木を切ると災いがあるという。
銚子谷は、牛鬼の使った金銀でこしらえた長柄の銚子、杯などが埋められていて、地中から光を発している。近くからは見えないが、夜中など遠くの海上を通る舟から、その光が見えたという。

     
2.石神(鵜方)
     
 

鵜方村にたいへん信心深い女がいた。ある日、その女が横山へ登っていくと、道に長物(大蛇)が横たわっていた。しっかりした気性の強い女なので、平気で道を通っていった。そのあと、ある男が山に行くと、同じように長物が横たわっておった。男が「こんなもんなんね」と言って蹴ったら、その男は足の方から腐ってきて、じきに死んでしまった。
それからまた女が行ったら長物はいなくて、道に石がころがっている。他の人がいくと大蛇になっている。それで女はオサヤ(祠)を建ててもらって、その石を祀ることにした。石神さんの主は、ねんごろに祀ってほしくて、人の心を色々試してみたのだという。
石神さんについては、こんな話もある。
昔、鵜方村にお宮さんという婆さんがいた。お宮婆さんが、ある日のこと、山へ登り石に腰かけて煙草をすっていると、突然この石が動き出した。びっくりしてみると、石は白蛇になって現れた。お宮婆さんは「これはただならぬ石じゃわい、神の石ではないか」と、家に帰って皆に話した。
ところが、その話を耳にした村の巡査が「そんな馬鹿なことがあるものか」と、婆さんに案内させて山に行き、くだんの石を靴で蹴っ飛ばした。それからまもなく、巡査は病気にかかって死んでしまい、家族も死に絶えてしまったと言う。
村人がよく調べてみると、大昔、その石のあった辺りに由緒のある尊い神社があり、その石がご神体である事がわかった。村人はこの石を石神さんとし、祠を建てて祀ることにした。

     
3.オオワダの石神(鵜方)
     
 

横山の石神と一対をなす石神が、村のオオワダという海の底に鎮座していると伝えられる。干潮の時、尖端だけがわずかに見えるばかりであり、やはりこれも正体は大蛇であると言う。曇った夜などに、二匹の神蛇がその浦で逢っているのが、幾度となく人の目に触れたそうだ。
その付近の森は、オオワダの森と呼ばれ、もしもそこの木を伐採でもしようものなら、かならず病むか死ぬかするという。

     
4.ダンダラボウシ(波切)
     
 

昔、波切の沖合にうかぶ大王島にダンダラボウシという一つ目片足の身の丈 10 メートルもある巨人がいた。
ときどき波切の里へやってきては神通力で風を起こし、雲を呼んで浜辺は大波にみまわれ、船をひっくり返し、娘をさらって帰るなど、人々をひどい目に合わせていた。村人たちはダンダラボウシを追っ払ってくださいと葦夜権現に願っていました。ある日、一足とびに岬へ飛んできた。足元に家があり、中で美しい娘がワラムシロを編んでいる。ダンダラは「それはいったい何か」と声をかけたら娘は顔を上げて「力持ちの村主さんのはくワラジです」と答えたのでダンダラは驚いた。「おれより大きいワラジを履く力持ちがいるこの里へは入れないぞ」と。
方向をかえてダンダラ島に飛び移りあたりをみまわすと、大勢の漁師達が浜いっぱいに広げたイワシ網を直しており、そばには 2 メートルもある魚を生ける竹篭がいくつも置いてあるのでダンダラは「これは何に使うのじゃ?」と聞いた。一人の漁師が「これは、村主さんのフンドシですぞ」というと、竹篭を指差して「あれは何だ?」と聞いた。
ダンダラの震えているのをみて「あれは力持ちの村主の弁当箱さ」。聞いたダンダラは二度驚き、青くなって後ろも見ず、海の向こうへ逃げ去った。
ダンダラに答えた娘と漁師は神の使者であった。
やがて海は静かになり大漁の日が続いた。飛び移ったダンダラ島には 2 メートルもある足跡が残っていて、海水がたまっていたが港の工事で埋めてしまった。

     
5.ダンダラボウシの足跡(和具)
     
  昔、和具へ「ダンダラボウシ」が遠い海の向こうからやってきた。

それはものすごい巨人で、そのとき大きな棒で大島と小島を荷なって来た。しかしいかな巨人でも重かったと見えて、今の大島と小島とを海中において一休みした。ところが今度かつごうと思って「うん」と力を入れて立ちあがろうとしたら棒がポキンと折れてしまったので仕方なくその島をそこに置いたまま和具へ一またぎに上陸して来た。それが今の大島小島であると、和具へ最初に足をつけたのが、広の浜のやや北にある今の堀口五郎兵衛の田である。三十坪ほどもある大きな足跡で、さらに片方の足跡は、奥山の水高から来る道路と、出口から来る町道との交叉点、竹内辨三氏の畑がそれである。また出口道の三郎氏の畑のまん中に径二bほどの低い土盛りがあり椿木が茂っている。これがダンダラボウシの「クソ」跡といわれ、この椿の木を切ったりすると体がふるえるそうな。
さらにまた和具大浦の船着きの前にある「鍋じま」もダンダラボウシの「クソ」のかたまったものといわれている。
   
 
     
6.行者島とカッパノ住家(和具)
     
  和具の西端に字石ヶがあり、その海岸に「行者島」がある。  回り二丁ほどの島で昔は陸から続いて突出していた。その先端に「行者さん」を祀った祠があって、庵をむすんでいた。この半島も海蝕によって離れてしまったので、その小祠を三本松の地に移したがこれを「元行者」といっている。  また昔行者島の下に洞穴があって、東から西へ波が通じていた。この洞穴に年よりのカッパが住んでいて、潮の満干のたびに里の人々に姿を見せ、よくなついていた。この「カッパ」は魚がすきで、えびやかには食べなかった。えびやかにを取ると付近の家に持ってきてくれたりしたので、あれやこれや里人からは可愛がられていた。しかし今から百年ばかり前のこと、秋の暴風雨のときにこの洞穴が破壊されて家を失ってしまった。カッパも行方不明になってしまったので里人は心配していたが、その日の夕方山の上に登り、平素親しくしてもらった人々に暇乞いしている姿を見たという人もあった。 行者島は半島から離れてから、新に三本松の地に祠を造って祀られたが神社合祀のとき八雲神社に移り、この地を元行者と称した。カッパがいなくなってから訪れる人もなくなり、景色のよい所でありながら寂しい地になってしまった。
     
7.観音堂の大仏首(和具)
     
 

和具の観音堂には多数の仏像があるが、その中に大仏首がある。この仏首には種々の伝説があり、和具のことわざに「十八日の足袋よごし」というのがある。これは観音堂の下は明治十年頃までは水田地であり酔っぱらってその帰りに水田に落ちることをいったものである。また踊りの歌に「堂が破れりゃ地下からたてる、」と歌われて今もこの歌が残っている。
大仏首は高さ 3 尺ほどで、およそ八、九百年を経過したと思われる優秀な作であり、村の伝説によると、この仏首は太閣の朝鮮出兵の時青山豊前氏が朝鮮から持ち帰ったものだという。
「カンカンノ、キュウレンソ〔韓々の九連の意〕キウレンソ、ササガラエ、サイフヒッカンショ」というのがあるが、これは仏首に関係があるといっている。
太閤が朝鮮出兵のとき、海軍の指揮にあたった九鬼嘉隆の一方の将として従った青山豊前氏が凱旋にあたって記念としてこの尊像を迎え帰ったと伝えられている 。しかしその原地についてはつまびらかでない。古来より「カンカンノキュウレンソ」というのは故郷のキュウレンソがさぞ恋しいこととの意であろう。
また西岡長助の談として城山 ** は言う。
ある年片田の某氏と方魚津から蔚山へ往く途中、某氏はこの本道から横に入って首なしの仏像を拝観しようと案内され、拝観して我が村仏首の原地ならんと直感したが、堂はただ柱四本だけの戸締り囲もない粗末なもので、中に首無しの木像の大きな立像があった。深く感銘したとある。
蔚山湾に集合して帰路についたとすれば小さな船に巨大な仏体を積むことができなかったろうと付加えている。

     
8.普門寺の小法師石(越賀)
     
 

越賀の普門寺の本堂に向かって左前に小法師石(こぼし石)というのがある。
高さ二尺五寸幅一尺七寸ほどで、上面は水平になっていて、その中央部に小さい凹みがある。全体三百五十貫ほどと見られる。また別に中の浜の北東の堤防上に、同じく「小法師石」というのがある。
昔、この寺前に「かばたろ」というカッパ一匹住んでいた。カッパは小男で長髪、頭上の一部が禿げて、これに小皿のような凹みがあり、ここには常に保水をたたえていて、この水をなくするとカッパの本性を失うことになる。力が強くて従順であるが、怒れば尻を抜き人を溺れさせるが、水泳ぎが好きで常に海に親しんでいる。普門寺の米や麦を搗いていた。このため小法師と呼んでいる。当時越賀に一匹の馬が飼われていて、ある日その馬と喧嘩し、ついに頭部にある皿の保水をなくしてしまった。「カッパ」はその性能を失い恥ずかしいためにこの地にいられなくなったが、平素の住僧の恩顧に報いるために、海岸で常に遊び場にしていた大切な大石二個を灯心草でからげ、線香で荷ないつつお寺の堂前まで運んできた。その石が今の「小法師石」である。
また、東の和具道の高岡峠の西下に、小法師川があるが、これが「カッパ」の遊び場であった。別れに臨んで「カッパ」は寺僧に平素の御恩を厚く述べ「これからどこに住むようになるとも、越賀の人であることを知ったら、同友のものにも話して、決して危害を加えるようなことはしません。」と固く約束して、いずこともなく立ち去った。里人は越賀人であることを知らせるため、今も普門寺から水難除けの護符をいただき、門口へ貼っている。

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