稲荷神社大祭(いなりまいり)

参道の露店と大鳥居

昭和20年代までは藁で作った苞に赤飯と油揚げを添えて祭りの前日にお供えした

大前狭しとさまざまな奉献者の名前が連なる神撰

 「いなりまいり」といって親しまれる例祭は、
毎年1月7日11月7日に行われる。
 例大祭の当日は、午前十時に地元代表者と奉賛会一同が参列して、村人の安全と五穀豊餠・大漁満足を祈念する祭典が厳かに執行される。
 地元の人は言うに及ばず、近郷よりもたくさんの参詣者で賑わう。神社では、樽酒の大盤振舞や、三時から恒例の餅撒きが行われ境内は溢れるばかりの人出で、先を争って餅を拾う様は壮観でさえある。
 前夜祭と祭典の準備には、奉賛会の実行委員によって、境内・社殿の清掃や祭壇のお供えなどの用意をし、幟や吹流しなど建てて1日中かかる。また、11月の大祭までに、年中通じて高額の寄進をしていただい篤信者には、紅白一重ねのお餅をお届けする慣わしで、遠方の方々には車で届けたり、宅配便で送って感謝の意を表している。


いなりまいり(本殿前の風景)

昭和30年代のいなりまいり(前日の準備中と露店のにぎわい)

片田・浦大野郷年木あぶり(ねぎあぶり)

火の粉を浴びる大群衆
来る年は大漁満足だ

 片田浦大野郷では、古くから紀の宮さんの行事として、雨乞いと年木あぶりが行われてきた。紀の宮は、甚山に建立された社で、甚吉宮ともいう。(今の片田中学校の敷地)
 年木あぶりは、五穀豊穣と大漁満足を神に祈る行事で、紀の宮さんの田んぼで行われてきた。この神事は、肝煎(庄屋)と奉賛会(古老)の指導で若集(義務社)が行い、今でもこれを踏襲している。紀の宮さんは、明治四十年に八雲神社に合祀された。その時、稲荷神社が年木あぶりだけを引き継いだと考えられる。火祭り現場の田圃周辺は、民家が増築されて、手狭になったので、大野浜で行うようになった。そして今日に至っている。
 古老曰く、「年木あぶりの神火(火の粉)が上空に飛散して、民家の草屋根に落下しても絶対火事にはならなかった。不思議な現象だ」と、何回も繰り返して言っていたことが今でも脳裏から離れない。神秘的な現象は、稲荷神社のご利益であろう。

(註) 雨乞い ひでりの時、降雨を神仏に祈ること。祈雨
義務社 明治十一年(1878年)片田義務社(今の青年団)が設立された
                         志摩町文化財指定(民族文化財)
(註) 年木の木 学名やぶにっけい(藪肉桂)、クスノキ科の常緑高木。暖地に自生し、防風林に植える。高さ約10メートル。葉は狭卵形で、初夏に葉腋に淡黄色の花を数個つける。果実は楕円形で黒熟。全体はニッケイに似ているが、香りは少ない。材は堅く、器具用材とする。マツラニッケイ。女桂。
どんと火場(古札・注連縄を燃やす)
高張り提灯一対

12月31日 年木あぶり準備完了

正月元旦の朝 年木あぶり完全燃焼の状態